未知の世界へ

6/8金.9土.10日の3日間、図らずも通いつめた武蔵野の森総合スポーツプラザ(東京都調布市)。

味の素スタジアムのお隣です。

2020年のパラリンピックの会場にも決まっているようですね。

こちらで三菱電機主催のワールドチャレンジカップという車椅子バスケの代表戦が行われていました。

 

たまたま近くで開催されていて、

たまたま何も予定がない週末で、

たまたま無料で観戦ができるということで、

 

4歳児を連れて行くにはぐっとハードルが下がり、行ってみようかなと思いたちました。

↑このポスターがすっごく素敵!漫画家の井上雄彦さんを思い出した。

 

スポーツはするのも観戦にもまったく興味がない私ですが(←)、子どもへの教育の一環として新しい世界を見せたい、体験させたい気持ちがあります。もしかしたら、一般のバスケなら連れて行かなかったかも知れない。車椅子で行う、だからこそ見せたいなと思いました。

みんなと同じ

おともだちとおなじことがしたい。ママと一緒のものがいいと、娘は同じであることを求めることが多い年齢です。。生存本能なのでしょうかね。それはそれで成長過程と認識しているけれど、自分と違うことやひとをむやみに排除しないでほしいと思っています。常々『いろんなひとがいるんだよ』と話してはいるけれど、見て体験したことのないものを想像するのは難しいこともあります。最初にそれを意識したのは、道路にある黄色い点字ブロック(視覚障がい者誘導ブロック)の上に子どもがずっと立っていて注意と説明をしたとき。

 

・目が見えにくい、もしくはまったく見えない人がいるということ

・道路のこのボコボコしたところは歩いても大丈夫、安全だという意味だから、足で感じてここを歩くから、この上に荷物をおいたり、あなたがずっと立っていてはいけないよ

 

というようなことを説明しました。

彼女が最初に発した言葉は

『どうしてみえないの?』でした。

ものすごく単純で素直な質問だよなぁ。

わからない、知らない、だから聞く。

生まれつき見えない人もいるし、病気にかかって見えなくなってしまった人もいるだろうし、もしくは事故にあって怪我をして見えなくなることもあるだろうね。

私にできる説明はこんなものです。。

 

私の中の差別意識と区別するということ、そこに愛はあるのか

 

初日の金曜日は女子の試合でした。

車椅子バスケットボール女子日本代表国際強化試合。日本vsオーストラリア

 

車椅子バスケってスピード感がありますね。観ていて一番釘づけになったのは、選手が倒れてしまったとき、味方はもとより対戦相手も自ら近付いて行って自分につかまらせて起き上がれるようにサポートするんですね。その協力する姿を見てプレーよりもちょっと感動してしまった私は、はたと思ったのです。ここで感動するのは、私が車椅子に乗っているひとを差別しているからではないかと。かなり胸がざわざわしました。

 

差別ってなんだろう?

wikiによると

差別(さべつ)とは特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為である。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。

と、ありました。

うーーーーん。

特別な対応が必要とは思う。でも除外や拒否をしているわけではない。いや特別な対応というとちょっと違うな、そのひとに合った対応だよね。そしてそこには相手に対する慮りの心があるのか?愛のある行為であるのか?そして相手はどう感じるのか?

相手がどう感じるのかが一番大事ではないかなぁと思う。

 

長くなったので続きます。